セロー250でユーラシア大陸横断 63 

10月8~11日

カザフ→カスピ海フェリー→アゼルバイジャン

14時くらいに再び招集がかけられました。バイクでゲートの中に入って駐車したあとゲート内にある立派なフェリーターミナルへ。ここは待合室よりたくさんのベンチがありトイレにフリーのwifi、ちょっとした食堂と売店もあります。

そこでバイクの書類を作成してチケットを購入するのですが、とにかく時間がかかります。
昨日からそうですが何をするにも説明がなく、どこどこへ行けというものの場所の案内をしてくれなかったりついても窓口で無視されたりといちいち感じが悪く、まともに従うのがバカらしいです。

ある窓口では何語で話しかけても机たたいても無視されるのでいよいよ腹が立ち、僕の後に列が出来てやっと仕事をしようとする職員を僕も5分くらい無視してやり返してしまいました。大人になりきれません。

嫌な相手にやり返したりするのは相手と同じレベルまで落ちていて恥ずかしい、みたいな意見ってよく聞くし納得できますが、必ずしも全ての場面でそうあるべきじゃないと思うのです。

ごみをなげられたらそのまま投げ返して、手を洗ってさっぱり忘れたい時もあります。

どれだけ待たされてもとりあえず暇はつぶせるのでwifiがあるのがとにかく救いでした。

16時30分にチケットを購入。

大まかに手順です。

①前日の夜ゲートの外の建物で作ってもらった書類に通関の窓口でハンコをもらい、入り口付近にあるチケット窓口でバイクの書類を購入。

②バイクの書類を総合受付のような窓口に提出します。しばらく待たされて人間用のチケットの購入用紙を受け取れます。

③バイク書類を買ったところと同じチケット窓口へ。人間の乗船チケットを購入しにいきます。

料金は用紙に記載されており、総合受付のようなところから見て左手、食堂の入り口手前にATMが置いてあります。お金は引き出せましたがあらかじめ現金を持っておくことをお勧めします。

バイクが9000テンゲ、人間は4人部屋で28000テンゲでした。ドルでいうと4人部屋70ドル、2人部屋は80ドル。

わいろか手数料か分かりませんがやや水増しされて請求が来たのでちょっと余裕をもっておくと確実かも。

僕の支払いは日本円で約1万円程度です。3食飯付きで最低2泊3日はかかるそうなので悪くない値段です。最低2泊3日という表現をしたのはカスピ海は風が強く、その影響で行先の港に入港できず数日沖で停泊することがままあるからです。

めんどうな手続きを終えてロビーで久しぶりのネット環境を楽しんでいると、ツイッターに上げたバイクの故障報告にたくさんのメッセージがつきました。いつも車両に関するアドバイスをしてくれる方が、フレームは折れているのでは?と指摘してくれました。

18時過ぎにバイクでボーダーコントールへ行けと言われ、また案内がなく外に職員もおらず右往左往して書類にハンコをもらったあと、フレームカバーを外してフレームを確認すると、案の定ぼっきりとフレームが折れていました。素人目に見てもこれはだめだ、と思ってしまう豪快な折れ方に笑うしかなく心が追いつきません。

ロビーに座って色んな方のくれたメッセージを見ていると、どうもセローの持病のようで
この部分を折ってセローを降りる人はは少なくないようです。日本一周のときに購入したのが3年前。7000kmの車両でいまは走行距離83000km。

3年8万キロ悪路ばかりを走ってこんなところまでやってきて、まさに大往生なのかもしれません。

怒ったり悲しんだりという気持ちは不思議と全く湧いてこず、よくやってきたなという思いです。あまりに暇なのでブログを読み返しているとそりゃフレームも折れちゃうよなというこれまでの旅が思い返されました。

とはいえこれからのことです。疲れに疲れ、これから冬で一時帰国か続行か身の振り方で頭を悩ませていたら今度は修理困難な致命的な故障に見舞われ、正直これで旅を止めて悩みから解放されるのでは?と思うとかなり魅力的に感じてしまいました。

しかし暇な時間を持て余しじっくり自分の考えを深めていくと、どうもこのまま帰ったり、別の乗り物別の手段で旅を続けることに違和感を覚えてきます。

フレームを変えるのは予算も地理的にも無理だけど応急手当で溶接し、だましだまし
ゴール地点ポルトガルに向かうのは十分可能に思えてきました。要はアゼルバイジャンの街でさじを投げられなければ、壊れても道中の街で溶接しながら進んでしまえばいいのです。

幸い今から向かう道ではジョージア、アルメニア、トルコくらいでしか本格的なダートを通ることはなさそうですし、ヨーロッパの街なら予算に目をつぶればどこでも修理するのは難しくないように思えます。

せっかくここまで8万キロ近く走り、5か月かけてユーラシアの半分まで来たのだからこのままセローで走り切ってしまいたい。気持ちは固まりました。

その後am3時に船が港に到着。4時間待たされ7時ごろに乗船できました、自転車と同じところに止めるのになぜかバイクだけ1人車の列に並ばされ暗い海から吹きすさぶ風に震え、眠い目をこすりふらふら。船に乗ってもすぐに船室に入れず、パスポートをチェックされて待たされ、やっと部屋が割り当てられます。

すぐに1番風呂ならぬシャワーをいただき、一週間ぶりに清潔な体を取り戻しました。

部屋はかなり狭いですがこれまでのロビー椅子生活に比べれば夢のようです。同室のドイツ人ツーリストたちもいいひと。8時30分にゆでたまごとスープ、パンの食事をとってぐっすり眠りました。

お昼まで爆睡。同室の人がランチの時間だよと笑いながら起こしに来てくれました。
プロフに豆のスープ。食卓にはおかわり自由のパンが並び、ペットボトルのコーラもついてきました。

たまにツーリストやカザフ人の長距離ドライバーたちとしゃべったり、部屋で読書。初日は風が強いせいなのか港から5kmの海上で船が停泊しています。

夕飯はマカロニとチキンに昼と同じスープ。ソファの並ぶ共有スペースにやかんが置いてありチャイが自由に飲めるしまれにお菓子が出てくるので食に関してはすばらしい環境です。

ただトイレは紙がないので注意。野宿者には必須アイテムですが距離走ってきたあとなので油断してると危ないかも。

カスピ海の景色はこの通り。海ってつけちゃうだけあります。

デッキでたばこも吸えるし部屋に電源もあるので暇つぶしにも事欠きません。wifiつきで景色のいい海域を1か月遊覧するフェリーなどあればぜひ乗ってみたいです。綺麗な入り江に船を数日停泊させ、希望者は小さな船で浜に降りてキャンプを楽しんだり…。暇なのでそんな妄想ばかりしていました。

ヨーロピアンのツーリストがいつも8人くらいで集まって食事したり休憩したりしてるのですが、大人数だとどうしても英語についてけないし置物になってしんどいのでカザフ人の人らとしゃべってることが多かったですね。

英語能力のなさもあるのですがたくさんの人と集まって会話するのが昔からどうも下手だし苦手です。自分入れて3.4人くらいだと適度にしゃべって疲れたら黙っとけるので落ち着きます。

そんなふうに自分のコミュ障具合を確認しながらうだうだしていると11日の朝に船はアゼルバイジャンに到着しました。飯食って寝てる間に進んでくって最高です。砂漠越えはほんとうに苦痛が大きすぎました。

am5時に起こされて荷物をまとめます。急かされたのに数時間待機して下船。パスポートを返してもらい降りたらまずカスタムでバイクの書類をもらいます。

陸橋があるのでそれを渡ると対岸にコンテナのオフィスがいくつかとATMがあります。

2か所のコンテナでそれぞれ20ドル、110ドルの支払い。なんのお金かはよく分かりませんがないと港から出してもらえません。シップチケットだと言われました。税金なのか船便なのか。

ATMでドルとアゼルバイジャンの通貨マナトを引き出します。

10時にやっと港を出発。船が着いたのは首都バクーより西に50km離れた港だったので壊れたバイクに鞭打ってなんとか走らせます。

はやくバイクを止めたくて下調べせず安宿へチェックイン。施設は素晴らしかったのですが正直人が悪く、バイク屋からも市街地からも遠いのでキャンセルを切り出すも返金不可と言われたので諦めてバイク屋へ。

かなり大きいショールームのあるお店でカタコト英語のおっさんたちが迎えてくれたのですが、とってもフレンドリーで心癒されます。仕事もテキパキでフレームの件もすぐに察してくれて僕の気づいていないクラックも3か所見つけてくれました。

その後英語のできるボスが出てきてお金の話に。折れた個所に鉄芯を入れてクラックも含めて溶接300ドルでした。なぜか後日500ドルになって請求がきましたが本当に疲れていたのか不在のボスを捕まえるのがめんどうでそのまま支払ってしまいました。ボス以外はいい店でしたよ。

宿まで8㎞くらいのんびり散歩して帰ります。まだまだ中央アジアの香りもするのですが、やはりどこか違います。はやくバイクを直してコーカサス地方の旅を楽しみたいものです。

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