セロー250でユーラシア大陸横断 61

10月2日

ヒヴァの街を出て荒野をひた走りヌクスへ移動。バイクのオイル交換をすでに4000km以上しておらず、この町でするともりで宿を取ったのですが、まさかのバイク屋閉店で計画が頓挫しました。タジキスタンで早めに変えておけばよかった…。変えたばかりのチェーンもこのごろすぐ遊びが出てしまうしライトもいまだ変えられず不安が残ります。

10月3日

ヌクスを出てカザフスタンの国境を目指し北上を開始。カザフのクルックという港からカスピ海フェリーに乗ってアゼルバイジャンに行く予定です。サマルカンドで10月10日開始のeビザを取得しておいたのですが、早いペースで抜けてきたせいでまっすぐに進んでしまうと残り1000kmの道のりをすぐに終えて早く着きすぎてしまうのが悩みです。

またカスピ海フェリー自体が悪名高く、風の影響で船が入港せず海上で停泊し待たされるのが日常だそうでスケジュールが存在しないのも悩みに拍車をかけます。乗船し実際下船するまでいつ出ていつ着くのか分からないのです。

とりあえず寄り道しておこうとアラル海にある船の墓場という場所に行くことにしました。
もともと広大な湖だったアラル海にソ連が綿花の畑を大量に作った結果、莫大な量の水が
消えてしまい20世紀最大の環境問題と名高いところだそうです。かつて湖面だった荒野に当時使われていた船が打ち捨てられているのが船の墓場と呼ばれ観光地になっています。

旅仲間に教わったのですが、船がしっかり横並びに並べてあってちょっとがっかりしたとのこと。好きな漫画で舞台として登場していたので興味はありましたが、かなり遠回りなのでもともとは行かないつもりでした。

それとヌクスからカザフの港まで最長600kmほど無給油区間が続くと多くのライダーに忠告されていて、セローの航続距離がこの頃平均して300km、携行缶の容量が5Lなので燃費30で450km走れるとしてのこりの150km分を用意しなければなりません。

泊まっていた宿でお願いして1.5のペットボトルを2本ゲット。危険ですがこれにガソリンを詰めて先に進むことにしました。足りるか微妙なラインですが、これ以上積載するのは難しく低燃費走行で距離を稼ぐ作戦。

バイクのチェーン引きしてたら寄ってきた地元の人。1度この荷台に牛がくくりつけられているのを見てびびらされました。

200kmほど走って船の墓場につきました。確かに並べた船のまわりにツーリストが群がっているのは若干興醒めですが、遠くから見てしまえば地平線まで続く砂漠と船だけが視界に残り、かつてどんな景色だったのか想像が膨らんできます。

列から少し離れたところに2隻の船が取り残されていて、そこにバイクを入れて写真を撮ってみました。深い砂地でバイクが埋まるうえ、やっとついた船の上には地元の悪ガキが陣取ってうろちょろしていてがっかり。それでもなかなか面白い絵が撮れて寄り道のかいはありました。

街にガソリンスタンドがあったので給油し、来た道を戻らずさらに北上します。地図で見ると小さくなったアラル海の湖面近くまで道が続いていて、さらにそれを通ってカザフ方面に復帰できそうでした。

ところがこれがとんでもない悪路で深いところでは50cm近く抉れた轍と轍の間をなんとか走り抜ける恐ろしい道。なんのために作られた道なのか集落を抜けて地平線が広がる荒野に入ると一切の音がせずダート道以外の人工物はほとんど見えません。

こんなところでバイクが不調が現れました。チェーンがいくら張ってもだるだるになり、駆動するたびギア付近からがりがりと妙な音がします。特に低速で走ると途中でトルクが抜けてしまい、滑ったような嫌な手ごたえがアクセルに返ってきます。フロントスプロケットがはまっていないのか、エンジン側の軸が割れているのか、クラッチが滑っているのか。

もし原因が分かっても手持ちの車載工具では話にもならないのでなるべく症状の出ない高いギアをキープして走り続けます。チェーンが張れていないからふんばれないのか、時折深めのギャップがあるとチェーンガードががつがつと地面にぶつかり、ときおりチェーンに干渉して攻撃する始末。

不安のなか走る悪路は心身共に普段の何倍も負担がかかりました。アラル海をこの目で見るのは諦めて、道の脇に入り荒野にテントを張ります。テントを張ってしまえばこちらのもので、一切音のしない素晴らしい野宿地を楽しみました。

10月4日

珍しく早起きして朝日を拝みます。地平線はこれまでの道中飽きるほど見てきましたが、ここまで起伏のない荒野は初めてです。なぜだろうと思って下を見ると水分がなくなり亀裂の走った跡のある地面にたくさんの貝殻が取り残されていました。ここはかつてアラル海の湖底だったのです。気が付いた時にはぞわっとしました。水平線が地平線に変わってしまうとは。

今日はここでもう1泊することにしました。アゼルバイジャンに渡ってしまえばおそらく地平線は滅多に見ることがなくなりますし、ビザの日付や船、バイクの故障、冬をまたぐこの先の旅のことなど悩みが尽きず、疲れた体を動かす気力が残っていません。

本を読んで音楽を聴き、ときおり音を止めて無音の荒野を聞き入って過ごしました。やっぱり野宿が大好きです。

10月5日

どんどん悪化する悪路をどんどん悪化するバイクで駆け抜けます。考えると心がしんどいので無心でバイクをしばき先へ先へ。

なんとか舗装路に脱出しました。ドライブインで昼食。1本道の荒野や峠などにあるドライブインや国境にはツーリストの自作ステッカーがべたべた張られていることが多いのですがここもそのようで、そのうち1つが目に入りました。

The Great Escape  偉大な逃走、逃避行?

シンプルな文字だけのステッカーに最初思わず笑い、しかしぐっときてしまいます。僕の旅もきつい仕事中にある日爆発し、まずやめるのを決めてから計画らしい計画もないまま始まった逃避行です。そんなことをふと思い出させてくれたのでした。逃げた先に何があるかはまだわかりませんが、今は逃げる前と比べようもなく幸せだし、これから数年はまだまだやりたいことだらけで生まれて初めて人生に張り合いが出てきました。

日本社会において仕事をやめて逃げるのはたとえるなら借金を作るようなリスクがありますが、これはいい借金だと手前勝手ながら思います。あるかもわからない定年後の楽しみを前借して、一番やりたい、やれる今の自分が楽しめる。逃げるという選択肢を選べた自分のことが今は少しだけ誇りに感じます。

やっと出た舗装路も月面のようなクレーターだらけでむしろダートより疲れ、危険を感じる道です。それでも頑張って夕方まで距離を稼ぎこの日はカザフスタンの国境手前20kmの荒野で野宿。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

  1. バイク親爺 より:

    楽しく、拝見させて頂いてます。14年前に転職し、その時に、車の免許取って、アメリカ横断して来ました。今は車よりバイクですが、セローに乗って近場の林道を走ってます。
    てっかさんのぷろぐは、すごく共感するものがあります。これからもウォッチさせて頂きますので頑張ってください、楽しみにしてます。

    • てっか より:

      ありがとうございます。そういってもらえると旅中にブログを書く気力がわいてきました。林道ツーリングいいですね。日本の秋山が恋しいです。